我が天風道に一点の曇りなし(香里の会:辻 敏光)
天風道十六年・・・良くまぁ続きました。
何故続いたのか・・・
その一つに天風道は単に机上での読み書き話すだけではなく、動き(体操・テレパシー・演習など)静と動一体であり奥深く中々飽きない事であります。
教えの一つに「身に病があっても心まで病すまい」がありますが、私は五月に右手首が突然腱鞘炎になり、最初は手首だけが痛みましたが、両肩、足まで痛く痛み止めを飲んでも効かず寝れない状況が続き、食事も減り、何と八キロ瘦ました。
そんな中で、心まで病んでました。
「何があっても感謝だ、笑いだ」と教えられても痛みにありがとう、嬉しいと笑えません。
そして「それが生きてる証拠だ!」と言われても・・・難儀や・・・
しかし、宇宙霊は痛みには一向に反応せず和らげてはくれません。
月日が経つにつれ痛みが和らいで来てから宇宙霊の本心が分かって来ます。
それは、痛みに捕らわれず、他の愉快な楽しいことに意識を向けると言う事です。
痛みも一か所が痛むと他は感じないのと同じで、一度に二つのことは考えられない訳です。
これが心理であり、心を常に「積極的せよ!」との教えと気が付きます。
そして、痛いときに笑うと和らいでくる実感も体験しました。
但し、めちゃ無理して笑いすぎると他に痛みが移り、痛みが倍加して難儀なこともありました。
「虚心平気」の境地に心身が達してこそ、その心理が理解出来るものです。
身といい、心は生きるための道具、その道具が故障して痛みがあるだけで、我の本心には痛みは無い、捕らわれない我であると信念する機会を与えてくれました。
病を忘れるとは他に意識を移す、楽しい事を考える、やる事が大事です。
人間は一度に二つ事が考えられ無いし出来ないのです。
だから常に積極に考え方向付けることがなりよりも大切と今更ながら強く感じました。