見牛(香里の会:田中秀憲)

論語のなかのひとつに、

子曰く、吾れ

十有五にして学に志ざす。

三十にして立つ。

四十にして惑わず。

五十にして天命を知る。

六十にして耳従う。

七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

とありますが、自分がこれまで歩んできた人生と重ねて振り返ってみると、

10才代の頃は勉強もろくにせず、親の脛をかじりながら好き勝手なことをやらせてもらっていたように思います。学ぶことの意味や大切さということも分からず、今から思えば貴重な時間を無駄に過ごし、大変もったいないことをしたと感じています。

30才代になると少し反省もあったと思いますが、「三十にして立つ」の如く、今も経営を行っている会社を興しました。創業時はそれなりに苦労もありましたが、自分が好んで選んだ生き方ですので、プライベートや休みも厭わず毎日を仕事につぎ込み、会社が生活の中心となる、仕事が全てと言っていいような日々を送っていたように思います。

40才代に入るとそんな甲斐もあって順調に売上も推移し、従業員を増やしたり、東京に進出するなど会社を拡大させていきました。ところが世の中そう甘くはないですね。

自らの器を超えた経営がいつまでも続くはずはなく、次第に事務所縮小やリストラ、借入金増大など、急速に経営状況が悪くなっていきました。

少しばかり営業が出来るのをいいことに、身の丈を超えたことをやっていました。そのうえ人間的な未熟さに加え、私利私欲の経営をおこなっていたのでは、当然の結果だと言えます。

「四十にして惑わず」とありますが、その頃はまさしく煩悶、不安、怒りなどの消極的観念に捉われていました。そしてなんとか再起を図ろうともがくなかで、自分の限界はどこにあるのか?体力的にも精神的にも自分を追い込んでみて、限界を確かめるためにトライアスロンやマラソンといったハードなスポーツのなかから何かを得ようと没頭していました。逆境から這い上がるために、経営を好転させるためにと、必死に何かを見出したい一心だったと思います。

そんなときに尊敬する経営者のひとりである、京セラの稲盛和夫氏の著書のなかにある「新しき計画の成就は不屈不撓の一心にあり、さらばただひた向きに思え、気高く強く一筋に」の言葉から、中村天風師と出会うことが出来ました。

そこからは師の著書を貪り食うように次から次へと読み、天風哲学に心酔していきました。師の著書は他にはない力強く歯切れよい、積極精神に満ち溢れた言葉で綴られ、幾度となく魂を揺さぶられ、感極まることも多々ありました。そして天風会という行修の場があることを知り、すぐにでも入会をしたいと思っていたのですが、ちょうどその頃にコロナが流行し始め、行修会などが中止になったり、オンライン活動が中心になっていきましたので、行修をするならやはりリアルな実践の場を求めていましたので、コロナが治まるのを待ってようやく昨年の6月に入会することにしました。

現在50才代も半ばを迎えていますが、入会後は呼吸法、運動法の実践や著書では知り得ない天風教義など多くの学びがありました。また本年9月の夏期特別研修会には初めて参加しましたが、全国の会員方々と語り合い、交流し、共に行修する中で天風会の素晴らしさを改めて知ることが出来ました。また10月比叡山延暦寺で行われる真理瞑想行修にも参加を予定していますので、更に修練を深めたいと思っています。

「五十にして天命を知る」

天命とは使命感、自らの命をどう使うのかと捉えておりますが、ここにきてようやく自分の天命とは何かが腹落ちしたような気がしています。

天命を知ったならば、今後は確固たる信念として、自分の土台石としなければいけない。

そして強い意志をもって行動に移し、高潔なる理想として高められるように一層の精進を行っていきたいと考えています。

そして60代、70代・・を迎える時には論語の言葉にあるような心境に少しでも近づけるように、そして人の世に役立つ自己の完成と、会社経営を通して社会の進化向上に貢献できるよう努力していく所存です。

2023年10月16日

田中 秀憲

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